死ぬまで生きた。
みなさんいつもありがとうございます。つじあけみです。
今日は今日の出来事、少し感傷的ですがつぶやかせてください。
シンクロや、なんやかんや、あれ?これすごい意味あるなぁって
起こる出来事にいちいち敏感になっている今日この頃。
すべてが、これからの人生によい影響があることには、間違いない・・・
ですよね^^
今日は・・・
たまたま通ったゆかりある場所で
この日この時間、たまたまいらっしゃった知人と会えました。
割愛していますが結構ミラクルな会い方でした。
何かに導かれたとしか思えない(笑)
この一連だけでも、すごく意味があると思ったのですが、
その方と交わした、3つの話を振り返り
今日会えたことは、必然だったとわかりました。
① 行方不明になった犬の話
(内容は割愛しますが、同じ出来事を違う側面からみていた私たち
すり合わせができて、キセキを感じました)
② 死んだ家族の話
③ これからの私たちの生き方の話
では、② のお話をします。
「去年、娘が死んだの 」
「・・・去年?え?だって・・・お孫さん、生まれたばかりだったよね?」
彼女の娘さんは、まだまだ若いと言われる年齢で、自ら命を絶ちました。
私の妹と、同じ亡くなり方でした。
(この界隈に、私と所縁のある方、もっと頻繁に会える方は
数名いらっしゃるのに、
当時、妹の死のことを話したのは、唯一この方だけでした)
娘さんが、なぜ死のうと思われたのかは、わかりません。
そのときの様子から、コロナ禍は関係あるように思います。
子育て疲れかもしれません。
でもやっぱりご本人しかわかりません。
私の妹も、なんで死んだのか今もわかりません。
・・・・・
このブログでつぶやきたいのは、こういうことではなくて・・・
私たちの、生と死に対する「感覚」が、お互い、研ぎ澄まされたことを
実感することが、ふたりで話す中で感じられた、ということを
なんだか、つぶやきたくなりました。
どうしてこんな不思議なことが起こるのだろう
どうして、わかってしまうのだろう
そういうことが、お互いうんと増えたのです。
私の場合は 妹の
彼女の場合は 娘さんの
心の声が聞こえてくるような気がしてならないのです。
死と生の 間に感じていた
彼女たちの「今生きている瞬間」の声が。
それは言葉では聞こえてきません。感覚です。
そして、それが、
なぜか
「美しい」
この感覚が伝わってきたときに、また涙が溢れました。
なんで美しいのか・・・
やっぱりそれも言葉にできません。
ただただ、彼女たちは美しかった。
本当に、本当に美しかった。
死ぬまで美しく生きたし、
死んでからも彼女たちは美しかった。
今も、この言葉と涙が溢れます。
でも、悲しくない。
私たちは もう悲しくないんです。
③ じゃあ、これから私たちはどうして生きる?
これも、言葉では表せませんが感覚でわかりました。
なんかわかったんですお互いに。
これからどうしていけばいいか。
私は、今日の出来事で、自分の進んでいる道が間違いないと
感覚で受け取りました。
彼女は・・・どうかなぁ^^
私には、彼女の周りが、薄ピンク色に染まっているように見えました。
これにも、おそらく意味があるんだなぁと
ぼんやり思いながら
今日の再会に感謝していました。
話をしたのは、おそらく30分程度。
濃くもなく、うすくもなく、
ただ、美しい、淡いピンク色に包まれていた
そんな時間でした。
・・・・・。
今日もお読みくださりありがとうございます (*^^*)
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100日チャレンジグループ72日目(2月10日)
最近のチャット投稿、とても楽しく拝見しています。
今日の、私のつぶやき・・みたいな
ちょっと、感傷的、空想的、抽象的すぎて恥ずかしい・・
こんなこと、人には言えないかなぁ・・・っていうことも
投稿してみてくださいね~
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