両親も辛かったんだ(もう毒親と呼ぶのはやめよう)

こんにちは!あけぼのライブパートナーのAkemiです。

自分のために書いていた、毒親シリーズ(自分の中だけでシリーズ化)
ですが、いっとき、とても大変だった状態は落ち着きました。

感情の赴くまま、綴ったことは、いいのか悪いのかわかりませんし、
うっかりここに来てしまい(笑)うっかり読んでしまったという方に
不快な思いをさせているかもしれません。

ですが、自分の意思で、このままにしておこうと思います。

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さて、母の自傷行為から、数日が経ち、母も気持ちは落ち着いているようです。
そして、少し特性があると思われる父も、彼なりに一生懸命、やっているようです。

あれからわかったことは、

父は、養子だったということ。
母は、愛されて育っていないと思っていること。

この二つが、両親からの供述でわかりました。

つまり、両親とも、愛されて育ってきていない という認識を
本人たちは持っているのです。


子供の頃、こんなことをよく冗談で言っていた父母

「あんたらは、橋の下で拾ってきた子やしなー」(父母ともに言う冗談)
(この時代、どこの家庭でも流行ってた?らしい・・・ほんとかな)
そしてこんなことも
「あたしらは、どうせ ててなし子やしな」(母が言ってた)
(※てて=父 父親がだれかわからない、とか父親がなくなって、母子家庭で育った子 という意味があります)
母の父は、母が子供の頃亡くなったそうです。
それは知っていたから、納得してました。
でも父は
そんな環境で育ったはずないのに、どうして母は、「わたしら」という言い方するんだろう
とちょっと思っていました。
そうだったのです。
父は 養子だったのです。
それでつじつまが合う・・・そんなことがたくさん思い出されました。
祖父は厳格な人でした。お寺の次男でしたので、お寺は継いでいませんが、
朝と夕、必ずお経を唱えていました。
祖母は、優しくて、聡明なすてきな女性でした。
そんな祖父母から漂う雰囲気は、上品でした。
なのに、どうしてその息子である、父は、全然似てないんだろう
そして、どうして、他人行儀なんだろう
そうか・・・道理で。
父はお酒に酔うと、泣いたり、わめいたり、愚痴を言ったりするのはなぜなのか、なんとなくわかりました。
悲観的で、否定的なことばかり言うことも
なんだか、納得してしまいました。
母も同じ、
「私は両親の愛情を知らんのやから、上手にできひんのや」と言っていたことが
急に許せるようになりました。
そして、総合した今の私の気持ちは
私のお父さんは
私のお母さんは
ずっとずっと、寂しくて
寂しくて、つらくて
満たされない気持ちを抱えて
生きているんだ
知ってたようで 知らなかった
「知らなくて、好き勝手言ってごめん」
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本人に伝えたほうがいいと
思っています。


シアワセの栞

あなたらしく生きていこう シゴト・アイ・ワタシ・セカイ 起こる出来事全てにあなたにとっての意味がある

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