「愛」ってなあに?
「嫌われる勇気」(ダイヤモンド社 岸見一郎 古賀史健 著)
一緒にいて、どこか息苦しさを感じたり、緊張を強いられる関係は、
恋ではあっても愛とは呼べない。
人は「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」と思えた時愛を実感することができます。
劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、
平穏な、極めて自然な状態でいられる。
ほんとうの愛とは、そういうことです。
それが・・・「愛」?!
うんうん、これも「愛」ですよね。
ですが、ただ時がたつと誰とでも「愛」だと感じられるのでしょうか?
じゃあ、なんで「愛はある」・・・って思えるのだろう。
引き続き、我が家を例に、考えてみました。
家族は、今まで一緒に時を過ごしてきた中で得た、共通した価値観を持っている。
よその家ではありえない、
ぶっとんでる我が家のルールも
家族4人の中ではあたりまえ。
そう、「これがあたりまえ」
この価値観こそが、
「愛」だと感じられるもの
なのでは?って思いました。
ふむふむ。ということは・・・
この価値観が似ている人とは、他人でも
「愛」を感じやすいのかも?
育った環境や、
親や周囲の人から影響を受けて得た考え方、
思春期の経験や、
好きだったこと、
苦しかった経験、
一生懸命頑張ったこと
笑いのツボ
同じだ!と感じて心の距離が近づく。
そのときに感じた感情が同じだった場合に
特別な安心感を得て
いつしか「愛」を感じることができる。
「この人はわかってくれている」
これは、異性だけでなく、
つまり
「愛」とは、共通した価値観を認識したときに得る安心感から、じわじわ芽生えるもの
ということなのかな・・・・
もちろん「愛」の定義はそれだけではないですよね、
無条件に湧き出る「愛」などもありますし(わが子に対してや、ペットや、物など・・・)
一緒にいて、どこか息苦しさを感じたり、緊張を強いられる関係は、
恋ではあっても愛とは呼べない。
人は「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」と思えた時
愛を実感することができます。
劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、
平穏な、極めて自然な状態でいられる。
ほんとうの愛とは、そういうことです。
という文章を読んで
ふと思った「愛」ことを話してみました♡
のを目指したいですね^ ^
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
100日チャレンジグループ 11日目(12月12日)
「愛」を感じたこと
教えてください♡
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
0コメント