「愛」ってなあに?

みなさん!いつもありがとうございます!辻曙美です。

これ、よく話題になりませんか?

「恋と愛ってどう違うの?」

ふと、目にとまった文章がありましたので、ここでこっそり共有しますね♪

アドラー心理学の教えの本

「嫌われる勇気」(ダイヤモンド社 岸見一郎 古賀史健 著)

からの抜粋です。

一緒にいて、どこか息苦しさを感じたり、緊張を強いられる関係は、
恋ではあっても愛とは呼べない。
人は「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」と思えた時

愛を実感することができます。

劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、

平穏な、極めて自然な状態でいられる。

ほんとうの愛とは、そういうことです。


ふむふむ。


確かに、恋に焦がれている時って、
そのお相手と一緒にいたら
緊張してドキドキして、リラックスできないですよね。

でも、付き合って、何ヶ月か何年か経つとですね、
だらだらできたり、わがままにふるまえたりするわけですよね。


それが・・・「愛」?!


うんうん、これも「愛」ですよね。

   


ですが、ただ時がたつと誰とでも「愛」だと感じられるのでしょうか?



私のことを例にあげて考えてみました。


結婚生活も何年か経つと、もう自分を飾らずありのままでいられるわけで
やっぱり家庭が一番リラックスできる場であり、わたしは夫や、子供の前で、どんなことでも話します。


(我が家は、他人にびっくりされるくらい、全員がめちゃくちゃ喋ります。
そして、いつも誰かがゲラゲラ笑ってる。そんな家庭です。)

ここに「愛はある」って、思います。

愛 って、形にできないものだけど

じゃあ、なんで「愛はある」・・・って思えるのだろう。


引き続き、我が家を例に、考えてみました。


家族は、今まで一緒に時を過ごしてきた中で得た、共通した価値観を持っている。


よその家ではありえない、

ぶっとんでる我が家のルールも

家族4人の中ではあたりまえ。


そう、「これがあたりまえ」 

って思える共通の価値観をそれぞれもっている。


この価値観こそが、


「愛」だと感じられるもの

なのでは?って思いました。




ふむふむ。ということは・・・



この価値観が似ている人とは、他人でも

「愛」を感じやすいのかも?



育った環境や、

親や周囲の人から影響を受けて得た考え方、

思春期の経験や、

好きだったこと、

嫌いだったこと

苦しかった経験、

一生懸命頑張ったこと

笑いのツボ


そして、今学んでいること
経験していること


同じだ!と感じて心の距離が近づく。



実はその価値観を得た事柄はなんでもよくて



そのときに感じた感情が同じだった場合に

特別な安心感を得て



いつしか「愛」を感じることができる。




「この人はわかってくれている」




という感覚。



これは、異性だけでなく、

同性にもいえることですねー。

 


つまり



「愛」とは、共通した価値観を認識したときに得る安心感から、じわじわ芽生えるもの



ということなのかな・・・・



もちろん「愛」の定義はそれだけではないですよね、



無条件に湧き出る「愛」などもありますし(わが子に対してや、ペットや、物など・・・)



いろんな愛はあるけれど
今日は、
一緒にいて、どこか息苦しさを感じたり、緊張を強いられる関係は、
恋ではあっても愛とは呼べない。
人は「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」と思えた時
愛を実感することができます。
劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、
平穏な、極めて自然な状態でいられる。
ほんとうの愛とは、そういうことです。

という文章を読んで

ふと思った「愛」ことを話してみました♡


(きっと、この本が伝えたいことは違うと
思うのですよ。まだ最後まで読んでなくて、、すみません)

つまるところは

誰も前でも、
いつでも、
愛を感じていられる「自分」でいられる

のを目指したいですね^ ^

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100日チャレンジグループ 11日目(12月12日)


「愛」を感じたこと

教えてください♡


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シアワセの栞

あなたらしく生きていこう シゴト・アイ・ワタシ・セカイ 起こる出来事全てにあなたにとっての意味がある

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