誰に認められたいですか?
みなさんいつもありがとうございます!辻曙美です。
毎日、いろいろ感じることがあり、このブログを綴っています。
(うふふ、毎日^^)
私は以前に、メンタル心理マイスター協会認定上級カウンセラーを取得し、
現在も心理学のコミュニティに所属して
カウンセリングを教えてくださる師匠に、
心理のことを学ばせていただいています。
その師匠と、たまに、朗読をして遊んでいるんですけど、(笑)
その題材が、なんと「嫌われる勇気」なんです。
この本、アドラー心理学の教えを
登場人物の「先生」と「青年」との対話形式で書かれていて、
朗読しやすいんです。(勉強になりすぎる・・・ありがたや)
師匠が先生役で、私が青年役。
悩める青年は、先生に教えを乞うも、
いちいち反発して、その姿が
自分そのもののような気がしてならない・・・
読む人は、ほとんどがそのようなことを思われるようです^^
前置きが長くなりましたが、今日読んでいたところから
うーーーーーんってうなりまくるテーマ。
「承認欲求」について、おはなしいたします。
承認欲求とは
他者から認められ、自分を価値ある存在として認めたい
という欲求です。
結構、欲張りさんな感じですよね。
物欲、食欲、性欲とか?
それら、生きていくための欲を満たしても
あたしゃ、それでは足りないのよ!
もっと、人の役に立ちたいのよ!社会に貢献したいの!
そしてそして、みんなに、認められたいの!
頑張ってるね、偉いねーて言ってほしいのよーーーー!!
っていうやつです。
あら、ドキっとされた方いらっしゃいます?
はーい ( `ー´)ノ 私でーす!
私、承認欲求まみれです。(笑)
で、承認欲求があるから、ダメ!っていうわけではなくて、
承認欲求があると、自分も関わった他者もしんどいときがあるので、
手放せるなら手放したほうが、楽に生きられるのにね、という話を
これから、自分にしようとしているわけなのです。
そこで、この承認欲求について、「嫌われる勇気」の本の中で
こんなやりとりがあるのでご紹介します。
(※注 実際の本文とは違います、私の解釈が入ってます)
先生「たとえば、あなたが、職場で毎朝ごみ拾いしているとします」
青年「はい」
先生「上司や先輩、同僚、社長までも、あなたのその姿を見かけても
スルーして、誰にもほめられなかったら、ごみ拾います?」
青年「えー、やめます!」
先生「なぜ?」
青年「だって、誰からも感謝されないですもん」
先生「あら、そうなの?」
青年「ええ、やめますよ!だって、ごみを拾うのはみんなのためですから!
やる気なくなっちゃいますよー」
あらら・・・青年の気持ちもわかりますが・・・
このあとの、先生の返し、なんとなく予想つきますよね。
先生「いったいどうして、他者からの承認を求めるのですか?
私たちは、他者の期待を満たすために生きているのではないですよね?」
青年「なんですって?!」
青年はまだまだ頑張って、先生に食って掛かります。
「私は今まで、親の言うことだって、無視することができず、
親が認める進路に進みました。それの何が悪いんですか!
私は親に認めてほしかったんです!
親は敵ではないですよね、自分の身近な人や、自分の親に認めてもらいたいという気持ちが起こるのは当然ですよね?!
親だけでなく、自分の好きな人から受け入れてもらいたいという気持ち、これは当たり前の欲求なんです!」
先生は、ユダヤ教の教えを説かれます
先生「自分が自分のために自分の人生をきていないのであれば、
いったい誰が、自分のために生きてくれるのだろうか・・・?」
青年「どういう意味です?」
先生「つまり、他者の期待を満たすために生きるのではないのです。自分のために生きるのです」
青年「じゃあ身勝手になれと?」
・・・と、まだまだ、ふたりの議論はつづく・・・。(気になる方はAmazonへ!)
この箇所を読むと、
青年の気持ちはもちろんですが、先生の言っていることもわかります。
解っていても、承認欲求を手放せないのが、わたし(たち?)
みなさんは、どうですか?
では、身近なことで考えてみてください。
自分は誰に認めてもらいたくて、これを一生懸命やっているんだろう。
私も考えてみました。
このブログ、なんのために書いているんだろう・・・・
!!( ゚Д゚)
あ、あ!!今日、そういえば、100日チャレンジグループのZOOM忘年会で!
そのとき、言いましたよね、私!
そうそう言った、言った!(もはやこれも誰のための主張?笑)
「私の毎日のブログも、毎日の課題も、自分のためにやっているから、
みなさん全然、スルーしてくれていいですよー!って。
そうなのです。これ、自分のためなのです。(笑)
みなさんに見てもらうなら、心を込めて綴ろうとは思っていますが
やっぱり、私のため。
だから、これ・・・・
毎日続いているのかなー?!(^^)!
イェイ!)^o^(
っていうところに落とし込みましたが。(いつも無理やりオチを・・・)
一度、みなさんも考えてみてください。
これって何のため?
この気持ちって、誰に、何をわかって欲しいんだろう・・・
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100日チャレンジ30日目(12月31日)
これって誰かに認めてもらいたくて、やっているのかな?
思い当たることありますか?
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